人んちのことはほっとけ。その1

古くは「六郷合戦」として多摩川(旧六郷川)の治水を願う神事であったが、寛永の頃に多数の死傷者が出たことで幕府から禁止令が出たため、明治に入るまでその歴史は途絶えていた。明治以降、地域の安全を願う地方行事として復活の機運が高まり、旧東京市と旧川崎町との合意の下「多摩川合戦」として復活するも、昭和50年頃の「荒れた中学」を背景に東京・神奈川の不良学生による「地域公認乱闘」の様相を呈してきたことから再度中止に追い込まれる。
当時は多摩川の河原を隔年毎に会場とし、それぞれ100人ほどの猛者が河原の石を投げ合うという勇壮な奇祭でありましたが、今回復活するに当たり、11人の代表による蹴球にてその優劣を競い合う競技となりました。

・・・てな嘘っぱち位でっち上げたら面白いのに。多摩川クラシコ